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獣のフランシスコにけんかを売る公のメッセージ 2016年8月26日 PM10:10

2016年8月26日 PM10:10
ペトロにーちゃんのご出現
ペトロにーちゃん「ぺトロが、先生の代理者として、初代教皇として話をする。今日は、とても慈悲深い、やさしい先生が、皆のために、再び地上に戻られるまでの間、続けているようにと、教えてくださったもの、その中でも、先生ご自身が、へりくだられたものである、聖なるホスチア、ご聖体について、話をする。先生は、なぜ、ご聖体という形を取ったものを思案されて、自ら教えてくださったのか、それを思い出してほしい。ご自身が、自ら人々の口の中へ入られて、その人の心に留まることを望まれた。これほど、単純で、尊いものはない。これをただのパンと、言えるだろうか?そして、ただのパンならば、叙階をされた司祭が必要だろうか?先生が、わざわざこのように、最後の晩餐の時、使徒たちに伝えて残されたものを、どうしてただのパンと言えるのか。そしてミサで、叙階された司祭が、自分の聖別された手で、聖変化を行うのに、聖変化が行われた後も、ただの食事なのだろうか。司祭が、司祭のみ触れることの出来るものを用いて、聖変化をさせるのに、その後での聖体拝領は、司祭以外は、直接、口で受けるものであると、自然に思う事ではないだろうか。
 なぜ、一般信徒が、自分の手で、平気で受けられるのか。聖別されていない手で受けるということを、何とも思わないのか。これは、本当に何も知らずに、素直に、教えられたとおりに、素朴に従っている信者は別として、責任は、やはり高位聖職者にある。以前は、司祭の手から、直接、信徒の口へ拝領させていた。万が一、下に落ちても、パテナで受け止める体勢を取っていた。司祭の、聖別された手以外では、触れてはいけないものだからである。それが、いつしか、どういうわけか、信徒の手にのせることが許されてしまった。これも、ねじ曲げられたもののひとつである。ただのパンならば、そんな事をする必要があっただろうか?なぜ、ただのパンと言い切るのだろうか?そして、司祭は、自らミサ聖祭を、簡単なものにすり変えて、聖変化の全実体変化自体を信じないで、ただの再現だと言っている者が、ほとんどになってしまっている。司祭が信じていない事に、信者たちも信じるわけがない。ご聖体というものが、どれほど尊いものであるかを、一番、良く知っているのは、悪魔である。うわっつらだけの信徒よりも、悪魔崇拝者の方が、よほど真の価値を知っている。だからこそ、本当に尊いもので、すばらしいものであるからこそ、ご聖体は、顕示されていなければならない。そして、中央の祭壇の、一番真ん中に、置かれていなければいけない。イエズスご自身であることを忘れてはならない。イエズスのおん体そのものであって、ホスチアの中におられるという言い方は、間違っている。中におられるのではなくて、ご聖体そのものが、イエズスご自身であるという事を、あらためて断言しておく。思い出してほしい。だからこそ、必ず、拝領前には告解に行ってほしいのだが、今の腐敗しきっている教会では、すべてが、ゆがめられている。こんなに嘆かわしいことはない。あらゆる理由をつけて、叙階をされた司祭以外が、直接ご聖体を配るという事が、今はあたりまえのように行われている。わざわざミサで、司祭が聖変化をさせたホスチアを、なぜ、司祭以外の信者が手に触れることを、平気で出来るのだろうか。尊いものとは、もう思っていないから出来るのである。良いクリスチャンと言われる人々が、ご聖体を、もう口で受けることがなくなっている。口で受けることは、タブーとなっている。なぜ、口で受けることが、ひんしゅくを買ってしまうのか。手にのせられているご聖体を見ると、心が痛む。そして、目に見えないほどの小さなものを、何も気にしないでいられることも、なげかわしい。昔の話だと、片付けてしまうのは、良くない。私は、現代主義の今のありさまを見ていて、とても残念でならない。イエズスが、踏みにじられていることを、とても見てはいられない心情になる。先生は、イエズスは、ずっと耐えておられる。古い時代のことだと言う考え方は、おそろしい。何も知らずに、ねじ曲げられたものを教えられて、それを単純に信じている人は、まだ許されるが、真実を知っている高位聖職者に、私はとてもいきどおりをおぼえる。私の言い方で言わせてもらうと、ぶんなぐってやりたいと思っている。尊いものであるという事を薄れさせたのは、悪魔の計画である。価値を知っているから、薄れさせていく事を行った。悪魔の計略の大勝利である。
 ここで、つけ加えておかなければいけないことがある。近頃、話題になっている、女性の助祭についてのことを話しておく。女性を一度、助祭になる自由、権利を認めてしまうと、助祭だけではおさまらず、司祭にまでのし上がろうとする。そして、すべてが崩壊して、破滅してしまう。厳しい事を言うようだか、女性は、侍者にもなってはならない。基本的に、ミサ聖祭は、司祭が、一人だけで出来るものである。本当に特殊な事情がある場合に、許可を得て、初めて、聖体奉仕者等、侍者を務めることが出来るのである。女性は、周囲の人々の注目を浴びる事に一所懸命になり、神に祈るという事を、絶対におろそかにする。ましてや、ホスチアを配ることも許してはいけない。天の御父との祈りを通して会話をすることが、集中して行われなければいけない。現代の風潮がどうであろうとも、イエズスは男性のみにミサ聖祭を委ねられた。十二使徒に委ねられた。最後の晩餐の場に、女性がいただろうか。あれこれ理由をつけて、権限を、権利を主張しているけれども、女性に任せてはならない。イエズスは、罪人に対して柔和であるけれども、また人々も、お互いに柔和でなければいけないけれども、すべてのことに柔和であることは、間違っている。守りとおすべきものは、変えてはならない。本当に堕落した今の教会を、私はとても悲しんでいる。頑固だと反感を買っても、変えてはいけないことは、どんなことがあっても変えてはならない。家の主人が帰って来る前に、自分の家でもないところを、勝手に変えてしまってもいいのだろうか?女性たちには、聖母の涙がわかるだろうか。そして、高位聖職者の男たちに、イエズスの涙がわかるだろうか。私は、顔をまっかにして、怒りが爆発しそうである。そんな時でも、先生は、なだめてくださる。今一度、良い信者として生きている人々に言う。もう一度、ご聖体とは何であるかを、黙想してほしい。あらゆる矛盾が生じている。この現状に気が付いてほしい。このような悲惨な状態になってしまった責任は、やはり高位聖職者にある。私たちの先生は、イエズスは、聖体拝領をする人の、多くの人々の口へ入られる時、泣いておられる。正しく聖変化を、正しく行っていない司祭に対しても、悲しんでおられる。実際は、聖変化をしていない状態のホスチアを信じて受ける信者たちに、あわれみをそそがれる。こんなに残念なことはない。どうか、わが息子は、ここで行われているミサを、このまま続けてほしい。お願いをしなくても、続けてくれるとは思っている。そして、信じている事をつらぬいてほしい。教会で、度々、戦ってきたことを、私は良く知っている。ならずものの人々が集まった、ここの人達に、伝統的な教会の守らなければならないことを、こうして話すのは、ならずものでも、真実を理解することが出来るからである。現代主義が、どんなに間違っているかを、ここの人達は知っている。本当は、どのようにしなければいけないのかを知っている。これからも、信頼をし続けてほしい。これからも、忠実な、ならずものであるように。私の祝福として、わが息子の手を通して、箱舟の8人に、祝福をお願いをする。
ジャン・マリー司祭「全能なる天主にまします、父と、子と、聖霊との祝福。箱舟の8人のうえにくだり、つねにとどまらんことを。アーメン。」
ジャン・マリー司祭「えっと、ペトロにーちゃん、質問だよ。はっきりと答えてほしいんだけど、1980年か81年の時の出来事なんだけど、南山大学の文学部、神学科に、上智大学神学部の神学教授の司祭が教えに来たんだけど、それを、教室に行って聞いた時、全実体変化は、絶対にないと、生徒に教えていたけどね。全実体変化を信じない司祭が、否定する司祭が、聖変化させる意思がまったくなしに、つまり、ただボーッとしてる状態じゃなくて、本当にそういう信仰を持たない、そして全実体変化を否定する。そういう思想を持っているという意味だけど、そういう司祭が聖変化を行った時に、全実体変化をさせる意思がないのに、全実体変化はおこるの?どうして聞くかっていうと、もし、全実体変化させるっていう意思がなしに、聖変化の言葉をとなえるんだったらば、それは、ホワイトミサ、子供のミサごっこ、またはミサの練習とまったく同じだよね。だったら、その聖変化なんて、起こらないでしょ?もし、そうだったら、それを言い広めるつもりだけど、おしえてちょ!」
ペトロにーちゃん「わが息子の思っている事は、残念ながら事実である。聖霊の働きが、そこにはない。イエズスは、ただ子羊のように、だまって耐えておられるのが、現状である。うつわだけのものであって、中身がない水筒と同じである。わが息子は戦うであろうから、自由に発言をしてほしい。」
ジャン・マリー司祭「ありがとう。ペトロにーちゃん。」
ジャン・マリー司祭「ペトロにーちゃん、ボクがご受難のマリア・アントニアのために、悪魔の攻撃、内容は言わないけども、ある悪魔の攻撃を、ペトロにーちゃんもわかってると思うけど、攻撃をやめさせて、なくしてほしいんだけど、どうでしょうか?」
マリア・アントニア「『ご受難だ』って。」「意味はわかるだろ?って。」
ジャン・マリー司祭「担うべき十字架、超えるべきハードル、いつか、超えれば終わるっていうことでしょ?」
ペトロにーちゃん「大変だけれども、背負えない十字架ではない。」
ジャン・マリー司祭「ペトロにーちゃん、今日、どうしてホスチア焼きが全部失敗したの?」
ペトロにーちゃん「悪魔がおもしろくないからだ。私がこのような話をする事に対しても、せめてもの抵抗で失敗させた。被害はほとんどないので、私からするといい気味だと思う。」
ジャン・マリー司祭「状況説明できる?」
マリア・アントニア「今日のミサの中での、3回目のフルエクソシズムの間に、何気なく、ご聖ひつのほうを見ていたら、シスターの格好をした人のヴィジョンがあって、その人が、手で聖体拝領を受けているところを見た。気軽に、お菓子を食べているみたいな感じだった。そのあとに、聞こえてきた言葉があった。『聖なるホスチアについて、今の人々の取扱い方について黙想せよ』っていう、それだけが聞こえてきた。たぶんペトロにーちゃんだと思うんだけど。」
ジャン・マリー司祭「だぁれ?そして今日、ご出現がある?あるとしたら、何時?」
マリア・アントニア「夜の10時だって。誰って聞いたら、『わたしだ』って、ダミ声で、ペトロにーちゃんの声で聞こえてきた。おおやけのメッセージが、欲しいんでしょ?って。」
マリア・アントニア「あのねぇ、書き起こしをするまで、いつもほとんど覚えてないんだけど、ただ1つだけヴィジョンがあって、聖変化の時の聖別された聖具を使っているっていう時の意味について話をしてくれていた時に、ジャン・マリーが、ミサでていねいにやっている時の事を思い出させられたものがあった。あとは、ご聖体に対して、ものすごく扱いがひどくて、おこっている、なげいているっていうのが伝わってきた。きびしいことを言ってるなって感じた。」
ペトロにーちゃん「ペトロが話をする。初めに、マリア・アントニアに話しておく。あなたは、いつも、天からの働きかけがあるとき、そして、天の方が話をされる時、過去の悪魔からの攻撃の後遺症で、不安になってしまう。そして、このローキューションと幻視についても、いつも、自分ほどふさわしくないものはいないと思っている。しかし、私たちのイエズスは、だからこそ、あなたを導いてくださっている。先生は、私を選んでくださった時のように、やさしいまなざしを注がれている。そして、手を差しのべられている。先生ほど、ひどい目に会う人は、これから先もいないという事を話しておく。そして先生に従う人々は、同じように迫害を受ける。その報いは、後の世で、喜びに変わる。ワースト1であるあなたを、人がうらやむほど、愛しておられる。先生の選び方は、人々には理解をされない。とまどう事があっても、その人に合った恵みを注がれている。だから、信頼をし続けてほしい。恐れることはない。これからも、恐い時は、『恐い』と言い続けるように。最低最悪であるあなたしか、わからない。傷を負った人々に対しての福音を、告げ知らせてほしい。人々からは、今の状況のままでいい。ほめられてしまうと良くない。今まで同じように、これからも、わかってもらおうとしないでほしい。ののしられて、馬鹿にされ続けている事が、順調であるという事を言っておく。表向きだけは、良い人ではなくて、見た目も、内面も、最悪であるあなただからこそ、人々に聞き入れてもらえるところがある。あなたは、自分が、いわゆる信仰深い良い人間だからということを、今までも、思ったことすらない。これを、この先も続けてほしい。私と、本当によく似ているわが息子に、これからもついて行くように。」


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