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コルベ・マリー阿部哲朗の告白録(11)

【 異常なストイックさと、依存症的行動 】

ねこちゃん

 ぼくは、ものごころついたときから、女の子と話しができない。小さいころから、女の子が近くにくると、真っ赤になって、頭が真っ白になって、何もできなくなってしまう。「赤毛のアン」という物語に、マシューさんというおじいさんが出てくるんだけど、まさにぼくの師匠みたいな人だ。 

 もうひとつ、いつのころからかわからないけど、修行僧のようにストイックに独身をつらぬこうと考えるようになった。と、同時に「結婚」することにも強烈にあこがれた。なんだかわからないけど、明治時代の日本にあったような、貞操という価値観が、小さいころからあった。

 中学1年生のときに初恋をした。同じクラスの学級委員長をしていて、成績もトップクラスの女の子だったけれど、ひとめぼれだった。初恋だから、純粋にその子だけにすべてをささげようと思った。

 その子とは、高校3年までいっしょだった。向こうもぼくのこと好きになってくれていたみたいだった。しかし、女の子がそばに来ただけで、かちんこちん、まっかっか、頭の中まっしろ、になってしまうのに、ましてや、その子の前ではパニック状態になって、気を失いそうになってしまう。

 6年間、なんどもチャンスはあったはずなのに、ぼくが覚えている唯一の会話は、その子「阿部」、ぼく「あぅ~」、だけだ。明治時代だったら、親とかまわりが察してくれて、18歳でめでたく結婚、ってことになってただろうね。

 こんなふうに、頭の中では異常なほどのストイックさで「純潔」をたもとうとしていたけど、肉体はコントロールできない。中学一年で、第二次性徴期になると、射精がはじまった。前に書いたけど、ぼくはものごころついたときから、寝るとき、ふとんのなかでうつ伏せになっておちんちんをこするという、オナニー的な自慰行為をしていたから、射精がはじまって、パンツとズボンがぬれてしまうようになった。

 また、「純潔」であろうとする意志とはうらはらに、中学一年のころから、女性に対する性的な誘惑がはじまった。いかんいかんと思いながらも、性的なことを想像しながらおちんちんをこするという行為だから、完全にオナニーだわね。朝、パンツとズボンをぬらしている姿を見て、親は「やめなさい」というので、「やっぱり、いけないことなんだ」とは思うんだけど、具体的にどう対処する?ってことは、ぼくには自覚がないし、親は「やめろ」の一点張りだから、相談のしようもない。

 ぼくは、このオナニーは、初恋の女の子に対する「裏切り行為」だと思っていたもんだから、時間とともに汚れていく自分が、どうしようもなくいやになった。あとになって、やっとこさ気がついたんだけど、中学のとき、ぼくはけっこうもてたんだね。いろんな女の子が、ぼくにアプローチしてきた。で、それは、性的な誘惑に直結したから、ぼくは気が狂いそうになるほど、その子たちを忌み嫌った。

 いまになって、ジャン・マリー神父に、このことを打ち明けてみると、「コルベ・マリーは異常だよ」と言われた。ものごころついたとき、すでに異常だというんだ。

 ジャン・マリー神父がするおもしろいたとえでね、お馬さんと背中にのっている御者(ぎょしゃ)の関係にたとえてみるんだ。お馬さんは、「人間」という動物的な部分のことで、自然な肉体的、精神的、情緒的な反応をするんだね。御者は、「飲みたい」「食べたい」「休みたい」って要求するお馬さんに、「こうしなさい」って命令する存在。

 コルベ・マリーの場合、この御者が、めちゃくちゃな命令ばかりする、とんでもないやつだ、って言うんだ。

 たとえば、ものごころついたとき、「女の子と接するのはよくないことだ!」とコルベ・マリーの御者は、お馬さんにきびしく命令しているんだね。こんなこと、ふつうの幼児にはおこらないんだ。

 まえに、よその家にいくと、食べることも、飲むことも、トイレにいくこともできなくなってしまう、って話したね。これも、お馬さんが「食べたいよ」「飲みたいよ」「トイレにいきたいよ」って自然に要求するんだけど、コルベ・マリーの御者は、「親に叱られるから」「この家の人に迷惑がかかるから」「はしたないから」などと、いろいろ、もっともらしい理由をつけて、「がまんしろ!」って、めちゃくちゃな命令をして、お馬さんをムチ打って、無理やり従わせようとしてきたんだね。

 だから、ムチ打たれて、傷だらけで、やせ細ったお馬さんは、ふらふらと、なにがしかの依存症的な行動に走ろうとする。水をがぶ飲みするとか、オナニー的な行為をするとかは、お馬さんからの「SOS」信号だったんだね。

 いま、毎日夜8時から、ジャン・マリー神父に打ち明け話をしているんだ。告解ではないけど、告解に準ずるくらい個人的な闇の部分を、できるだけ洗いざらい話すようにしているんだ。そうすると、いままで自分ひとりでは気がつかなかった、とんでもない傲慢な自画像が浮かび上がってくる。

 あまりに汚い、醜いことを打ち明けるから、普通の人には毒性が強すぎて、聞くに耐えないだろうね。でも、ジャン・マリー神父は、神様の代理者だし、他の神父がもっていないほど、とんでもなく寛容で、経験豊かだから、こんなぼくでも安心して打ち明けることができるんだ。

 ぼくは、すっごく恵まれているよ。ご聖体のイエズスと、こんなにやさしく、強いジャン・マリー神父といっしょにいることができるなんて!

 神様、マリアママ、天使くん、聖人くんたちが、できの悪い子ほど愛してくれるっていうのは、ほんとうだよ!


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