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コルベ・マリー阿部哲朗の告白録(15)

【 無意識のうちの悪魔との契約(4) 】

野菜いため定食★

「オカルトの実践」が、どれほど深刻な事態をまねくか、中学時代にはじまった、「オカルト」「オナニー」「ミリタリー」、3つの「無意識のうちの悪魔との契約」は、まだほんの入り口にすぎなかった。 

 高校生になると、ぼくに対する両親、先生、まわりの異常な「高望み」は耐え難いものになった。自分の能力をはるかに超えたことを強要され続けた。「オカルトの実践」は、高校生から本格的になった。

 超能力に対する「あこがれ」は、切実な「願望」へと変化した。はじめは無意識のうちに「念ずる」という程度だったけど、高校2年生くらいからは、「密教の修業」へと、具体的な行為になった。「オカルト的なもの」から、「オカルトそのもの」に変化した。

 自律神経はおかしくなり、夜、まったく寝られなくなった。妄想は激しくなり、顔つきもかわった。そして、積極的に超自然的なものを求めるようになった。

 当時のオカルト系の愛読書は、「UFOと宇宙」「ムー」「トワイライトゾーン」、阿含宗の密教の本、だった。仏教・神道関係の本も読みあさった。書いてあることは支離滅裂で、どれも筋がとおらないことばかりだった。でも、夢中で、何か超自然的なことを求めていた。

 最初のはっきりした超自然的な現象は、19歳(?)のときだったと思う。明日は大学の数学の試験、で、徹夜で勉強…じゃなくて、半分、瞑想して、明け方になったんだわね。

 ベランダにでて、朝日を見ようとおもったら、目のまえをサーチライトみたいに強い、けれどあたたかい光に数回、照らされたんだね。天国にいるみたいに心地よくて、ずーっと味わっていたいくらい、やさしい不思議な光だった。「このしあわせを、ずーっと味わっていたい」と思っていたら、言葉ではないけれど、「そのためには、大いなる苦しみを通らなければならない」という、はっきりしたインスピレーションを受けたんだ。

 ぼくは、当時、クリスチャンでも何でもなかったから、これは修業の成果だと、思ってたんだよ。ますます、密教の修業にのめりこんだね。

 このあと、20歳のときだったと思うけど、大学の近くに下宿することになった。下宿してすぐに、「ひきこもり」になった。まえにも書いたけど、オナニー三昧、ゲーム三昧、マンガ三昧、and 修業三昧だった。きわだって、超自然的な現象があったわけではなかったけど、自分が生きているんだか、死んでるんだかわからないような状態だったよ。

 とくにみんなに知っておいてほしいのは、この当時ぼくは、自分ひとりだけの世界の中で、「王の中の王」になっていたことだ。本当なんだよ。修業して、超能力を身につければ、ぼくは不老不死で、世界で一番すぐれた存在になれる、いや、すでにそうなりつつある、って、本気で思ってたんだ。

 いま、「自分らしく生きる」「念ずれば実現する」といった、ニューエイジ的な価値観で、世界はおおいつくされているね。オカルトの実践も、あたりまえのようになっているね。でも、ぼくの姿を見てごらん。そんな生き方を少しでも肯定したら、ぼくみたいになっちゃうんだよ!

 大学院生のころだったと思うけど、生協の食堂へお昼ごはん食べに行く途中、別の科の学生が前を通ったの。全然知らない人だよ。その人が、べつにぼくに何をしたわけでもないのに、突然ぼくは怒りだし、彼にむかって罵詈雑言、呪いの言葉をわめきちらしたんだ。彼は唖然としてぼくを見ているけど、ぼく自身も唖然としてしまった。呪いの言葉が、勝手にぼくの口から、次から次へと出てくるんだ。自分でもおかしいと思うんだけど、止められないんだ。

 ひきこもりの10年後。末期には、ぼくは廃人同様になっていた。修業して、超人になっているはずなのに、現実は、どうもそうでないらしい。聖人になっているはずなのに、なんでオナニーやめられないの? 神に近づいているはずなのに、自分のみじめな姿はなぜ? 超人なのに、なんで朝起きられないの?

 謙遜(けんそん)な人なら、自分の異常さに気づくだろうけど、「傲慢(ごうまん)の罪」は、自分自身の目を見えなくしてしまうんだ。悪魔の王ルシフェルのことを、「年老いて気の狂ったヘビ」って聖書で言うんだけど、「傲慢」は、本当に自分自身を「神」としてしまい、こんなに異常なのに、本人は自分自身が神のように「清く、正しく、美しい!」と信じ込んでしまうんだ。

 大学時代当時の、ぼくを知る人々にインタビューしてみるといいよ。ぼくが、いかに異常で、ブチ切れやすく、人を人とも思わない傲慢な、いやなやつだったかを証言してくれると思うよ。

 自分自身を「神」と等しいものとする、いまのニューエイジ的な風潮が、いかに危険なものか! 入り口は様々で、甘い言葉で近づいてくるけど、その効果を見てごらん! ぼくがその代表選手なんだよ! まったく気がつかないんだ。完全に自己暗示にかかちゃってて、自分は「善人の中の善人!」って信じきっているんだ。

 廃人同様になってしまった、ひきこもりライフの末期、25歳くらいのころ(?)、1987年ころ(?)だったと思う。「ムー」で鬼塚五十一さんが書いた記事で、はじめて、リトル・ペブルさんに与えられたマリアママのメッセージを知ったんだ。いままで読んできたオカルト系の記事の中で、はじめて筋の通った、まともな記事を読んだ。

 これが、ぼくの人生のターニングポイントになった。でも、ここまで「逝ってしまった」ぼくは、それから何十年も苦闘し続けているんだ。この後のことは、またおいおい書いていくね。

 現役の大罪人! それが、ぼくの本当の姿だ! 耳のある人は聞いてほしい! 目のある人は見てほしい! 

 はっきり言えば、いま日本で講演活動をしている、反キリスト、ロード・マイトレ-ヤと、ベンジャミン・クレームを頭とする、その使徒たちが提供するものは何なのかということだ! 悪魔が提供する世間の価値観が、どんなにひどい結果をもたらすのか! ぼくという実例を見て、考え直してほしい!

 それとは正反対に、神様がくださる「やさしいとがめ」が、どんなに耳に痛くとも、永遠に続く「本当の幸せ」に導いてくれるか! 「コルベ・マリー」という同宿の中でも最低最悪の実例を見て、みんなは希望をもってほしい。「傲慢」という、もっともいやらしい、たちの悪い罪にそまったぼくを、マリアママがどんなに忍耐強く、決して見捨てずに、やさしく抱きしめ、導いてくれているか、ぼくは証言するよ!

 そして、ジャン・マリー神父のいう「幼な子路線」、赤ちゃんのように幼児言葉で、マリアママと親しくお話しする、ってことが、「バカ」のように見えるけど、どれほど理にかなっているか、みんなわかってくれたらなぁ!


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