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コルベ・マリー阿部哲朗の告白録(7)

【 問題行動の数々…(2)】

 さきの「秋田の聖母」のエピソードのまえに、ぼくは10年近く「ひきこもり」の生活をしていた。「ひきこもり」って言葉が、まだなかったころのことだ。

 20歳のとき、名古屋で一人暮らしをはじめて、すぐ、いまで言う「ひきこもり」になった。1982年ころだと思う。当初は、大学の教養課程の単位をとるために、かろうじて出席日数が足りる程度は、学校行ってたけど、4年生で研究室に入ってから、お休みががぜんふえたと思う。

 修士課程、博士課程後期は、ゼミの日以外は、夕方ごろ出てきて、喫茶店で「ゼビウス」やりまくって、閉店後、研究室のPC-9801 でゲームやりまくって、ちょっと実験して、明け方、学生マンションに帰って寝た。先生とか研究室の仲間とは、ほとんど顔をあわせない。当然、学校と家から電話がガンガン鳴るわけだけど、電話線ひっこぬいたり、お金あるけど電話代はらわないで、通話できなくしたりした。

 そうだ、思い出したけど、お金あるのに家賃滞納して、督促されたことがしょっちゅうだった。何もする気力がなかったんだ。

 当時、家庭用ビデオとパソコンが普及しはじめたころで、部屋ではオナニー三昧、ゲーム三昧、マンガ三昧だった。部屋の中には、生ごみ袋が十数個、トイレ行くのがおっくうだったから、ペットボトルに小便をしていた。風呂は3日から一週間に一回。髪はボウボウ、ひげもボウボウ、乞食みたいなかっこうしていた。

 こんなんだから、恥ずかしくって、外へは出れない。前にも言ったように、生まれつきの対人恐怖症だから、なおさら出れない。でも、3日くらい篭城すると、食料がつきてくる。お腹がすいてどうしようもなくなる。

 飢餓状態で起きだして、シャワーを浴びるんだけど、自分が生きてるんだか死んでるんだか、わからない。しばらくぼうぜんとしている。自律神経がおかしくなっているから、暑いんだか寒いんだかもわからない。

 死にそうにしんどいんだけど、必死に気力をふりしぼって、人通りがなくなる午前2時か3時ころ、両隣に気づかれないようにそっと部屋を出て、コンビニへ向かう。歩きだから、せいぜい三日分くらいしか持てないんだけど、パン・カップラーメン・冷凍食品・ジュース・酒を両手いっぱいにかかえて、できるだけ急いで部屋にもどる。

 ず~っと、ふとんにもぐって寝ていたから、体力はガタ落ちでしんどかった。でも、いちばんしんどいのは精神のほうだった。苦しくって苦しくって、毎日、ビールを1リットル以上飲まないと寝れなかった。寝るというよりも、酔っ払って3時間くらい意識を失っていたというのが本当のとこだろう。その後、うとうとしながら見る夢は、核戦争、大地震、何か恐ろしいものに追っかけられ続ける……。あせり、怒り、不安……

 リトル・ペブルさんに与えられたマリアママのメッセージに出会ったのは、こんなひどい「ひきこもり生活」が絶頂期にたっした1987年ころだったと思う。

「神様はもっとも罪深い人を、もっとも愛する」 マリアママは、こんなひどい罪人のぼくを、そのまま愛してくれているんだ。

 ぼくが、どれほどひどい状態だったか、そして、いまもその後遺症をひきずっているか、その根底にあるのは「傲慢(ごうまん)」という深刻な罪であるということを、おいおい書いていくよ。


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