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127-4聖ヨゼフのユリ

127-4聖ヨゼフのユリ
 日本に共同体を設立するために、まず最初にやるべきことは会則会憲の翻訳であったのです。グループのリーダーやプロモーターたちは翻訳担当者からできた翻訳を受け取り、印刷し、リトル・ペブルさんを支持する人の出来れば全員の手元に届けるべきだったのです。これを読んで、よく理解したうえで、召命を感じ、共同体設立のメンバーになる資格があると自覚した人が、自発的に名乗りをあげなければならないからです。この内的呼びかけは神がご自身で自由にお選びになるもので、人が介入することは許されません。内的に召命を神から感じさせられた人が自発的に志願する。これが修道会です。「共同体は修道会」なのですから絶対にこうでなければなりません。

 共同体の設立のメンバーに神から召される人は多くの人の中に、わずかしかいません。そういう人があらわれるために日本語の会則会憲をできるだけ多くの人、できれば全員に読ませるべきなのです。それには翻訳担当者が全てのグループのリーダーとすべてのプロモーターに訳を渡し、自由に使わせなければなりません。これを妨げたのが派閥心なのです。

 翻訳は私が肩代わりし、今は誰でもが自由に日本語で読めます。すべてのグループのリーダーとすべてのプロモーターに、自由に使ってくださいと言って、会則会憲の本を送りました。

 そしてそこには今の日本のミッションの人々が夢想だにしないことが書いてあります。共同体は話し合いで、そして全員一致の決定を導き出せるまで話し合うことによって万事を決定すること。話し合いにおいては、いただいている賜物や、知識、才能、貢献度、年齢等に関係なく、皆が平等な発言権を持つこと。どの部門で、どの部所においてもこれを行い、上意下達(トップダウン)のやり方をしないことが規定されているのです。

 そして日本人たちが、内容として含まれていると思い込んでいることが、書いてありません。幻視者が共同体をつくる。幻視者が組織のトップにつく。幻視者が皆に命令する。幻視者があらゆることを決定すべきだ。などです。今、幻視者をトップにしたトップダウン、上意下達のシステムを聖シャーベル修道会の共同体だと考えている人々は、この聖シャーベル修道会の会則会憲を受け入れることができるのでしょうか? 自分たちの間違った考えを改めない限り、アシジの聖フランシスコの後継者たちが、天から与えられて書きとらされた第二会則を捨ててしまったのと同じことを彼らもするはずです。

 すでにグループのリーダーたち、プロモーターたちが今自分が世話している人々に聖シャーベル修道会の会則会憲を読むように熱心に促さないのは、実質的に会則会憲を捨てていることになりませんか? 日本語の会則会憲の存在を知りながら、読もうとしないこのミッションの人たちも皆、会則会憲を実質的に捨てていることになりませんか?

 聖シャーベル修道会の会則会憲を受け入れず、自分たち独自の会則会憲を作って、独自の共同体を設立しようとするかもしれませんが、「共同体は修道会」です。その独自の会則会憲は認可を受けるために聖座に提出されなければならないし、教会に受け入れられる方法で、三つの誓願を会員が皆、たてることができなければならないことを忘れないでください。しかし、もし幻視者をトップにすえたトップダウン(上意下達)のシステムなどという、修道会では採用不可能な会則会憲を作るなら、教会は決してそれを受け入れはしませんよ。幻視者を導くのは司祭なのです。幻視者がどれほど落ちてしまいやすいか教会は知っています。

http://charbeljapan.cocolog-nifty.com/charbeljapan/

追伸:
 ジャン・マリー神父は、文章はきついことを書いているけど、すごくやさしい神父だよ。とくに、間違っている人、罪人にたいして、信じられないくらいあわれみぶかい神父ですよ。こわがらないで、心をひらいて、悪さをもろだしにしてね。みんな受け入れてくれますよ。


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