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127-3聖ヨゼフのユリ

127-3聖ヨゼフのユリ
 次に修道者とはどういうものなのかを説明する必要があります。修道者とは修道会の敷地の中に住んでいるから修道者なのではありません。修道院に寝泊まりしているから、修道服を着ているから修道者なのでもありません。修道者とは従順・清貧・貞潔の三つの誓願を、教会を通して神に立てることによって、完全に神に奉献されたものになっているから修道者なのです。

 修道者自身、いけにえとして完全に、残りなく御父へのかぐわしいささげものとなるための焼きつくす炎であるこれらの3つの誓願、イエズスである十字架に永久に自分を打ち付けてくれる3本の釘であるこれらの3つの誓願、多くの霊的な子を産ませるためにご自分の花嫁としようとする聖霊への「なれかし」(フィアット=マリア様がお告げを受けたときの承諾のハイ)であるこれら3つの誓願について繰り返し、繰り返し黙想するのです。

 そして修道会とは、これらの3つの誓願を立てた人の集団です。この3つの誓願を立てる前提は、会則会憲を熟知していること、3つの誓願について完全に理解していることです。もちろんこの3つの誓願について教えているのは会則会憲です。ですから会則会憲を読まないなら、3つの誓願はたてることができません。すなわち会員には絶対になれないのです。

 これで「共同体は修道会」だという言葉を皆さんは理解できるようになったと思います。

 では、日本人独特の思いこみの間違いについての説明に入ります。日本のミッションにおいては今、共同体とは単なる共住である、つまり村のように単に寄り集まって協力して暮らすだけであるとか、ただ財産を共有にした祈りのグループであるとか信じ込まれています。共同体の設立に関しては、幻視者が中心になり、ワーカーとともに設立するとか、幻視者の指示通りに設立するとか、幻視者に頼まれて設立するとか皆が考えています。

 しかしこれは全くありえません。なぜなら「共同体は修道会」だからです。つまり共同体のメンバーとは従順・清貧・貞潔の3つの誓願をたてる人だからです。そして誓願とは、指示されてとか、頼まれてとか、強いられてたてることは許されないのです。誓願は、まったく本人の望みと意志だけで、完全な自由のもとに、だれからも影響されずにたてなければいけないものなのです。

 あなたがたとえ神ご自身から指示されたから、または願われたからと言っても、指示された、願われたというのでは、どんな修道会も誓願を立てさせません。まず会則会憲を熟知しており、三つの誓願と、誓願をたてるという行為について正しい理解を持っており、だれからも強制されず、影響されず、完全に自由な状態で、本人自身が自由意志で強く望むことが、誓願をたてるための絶対条件なのです。ですから祈りのグループに幻視者が指示して、それをそっくりそのまま共同体にするなどありえないことなのです。

http://charbeljapan.cocolog-nifty.com/charbeljapan/

追伸:
 ジャン・マリー神父は、文章はきついことを書いているけど、すごくやさしい神父だよ。とくに、間違っている人、罪人にたいして、信じられないくらいあわれみぶかい神父ですよ。こわがらないで、心をひらいて、悪さをもろだしにしてね。みんな受け入れてくれますよ。


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