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122-2聖ヨゼフのユリ

 日本人はケチンボで、マリア様のこのミッションで20年間行なってきていることは霊的ケチンボの行ないです。ケチンボの人に対しては、神様も同じようになさいます。それで恵みは十分いただけず、恵みが不足するので、企てたことはすべて失敗してきたのです。与えれば100倍も豊かに神様は与えてくださるというのに……。

 日本人がケチンボだと私が書いても、皆さんにはその自覚がないでしょうね。日本ではそれが標準なのですから気がつかなくて当然です。

 自分のこととして気づかせるために、別の例をあげましょう。日本人が祈るとき、「私にください」という願いごとをします。ローマ・カトリックの伝統では、そうではありません。「私たち全員にください」という願いごとをするのです。自分が得たいと思う恩寵があるとしますね。祈るとき、自分がその恵みをいただくことだけを考えていませんか? 他の人のことは忘れていませんか? もしそうだとしたら、あなたはケチンボです。ケチンボほど惨めな人種はいません。我慢ならない人種はいません。神様の仕事をするには全くふさわしくない人種です。

 マリア様は日本人も日本に聖シャーベル修道会の共同体を設立するようにと長年促し続けていらっしゃいます。しかし、もしその共同体の中で、このようなケチンボの祈り方を皆がしたなら、恵みはほとんど与えられないでしょう。逆に自分が得たいと思う恩寵を、共同体のメンバー全員がいただけるようにと祈ったら? そしてメンバー全員がそれぞれそのように祈ったとしたら、どれほどその共同体は恵みに満ち溢れることか!

 これは日本では夢物語ですか? 皆さんがケチンボを克服するかどうかにかかっています。今日からそのように祈ることから、ケチンボの克服を始めてください。

 もうひとつ例をあげましょう。宣教師が日本のどこにでも行けるようになった明治時代、不幸のどん底にある見捨てられていたライ病者のために何もかも与えつくして奉仕したのは外国人の修道者でした。また、敗戦後、貧しい人や孤児たちのために真っ先にすべてを与えて活動したのも、ゼノさんのように外国人の修道者でした。

 日本人の修道者は自発的に行動しませんでした。率先して与えようとしませんでした。修道者は私有財産を持たないので、世間の人よりケチになる危険があるのですが、まさに日本では修道者もケチンボになっているのです。世間では貧しい人の方が愛徳のために寛大に自分のものを与えます。貧者の一灯とよく言いますね。修道者は貧しい人の友となり、貧しい人の痛み、苦しみが理解できるようにと全財産の放棄したはずなのですが……。日本人には「与えたい」というモチベーションがほとんどないのです。

 これらのことを皆さんは反面教師としてください。他人ごとではなく、将来共同体に入る人、清貧の修道誓願、または、修道信徒誓願を立てる人は、特にこれらのことを忘れないでください。そして与えるのです。与えつくすのです。日本人もこうして初めてケチンボを克服し、派閥心を捨て去ることができるのですから。

http://homepage1.nifty.com/charbeljapan

追伸:
 ジャン・マリー神父は、文章はきついことを書いているけど、すごくやさしい神父だよ。とくに、間違っている人、罪人にたいして、信じられないくらいあわれみぶかい神父ですよ。こわがらないで、心をひらいて、悪さをもろだしにしてね。みんな受け入れてくれますよ。


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