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120-1聖ヨゼフのユリ

「感覚的なものは、本質的なものに向かって歩き始めるための出発点に過ぎません」。この言葉で何を言おうとしているのかを例をもって説明しましょう。

 例えば皆さんのうちの誰かが、幻視者に「私の守護の天使は何色の服を着ていますか?」と質問したとします。たいていの幻視者は、もしその人の守護の天使を神様から見せられていたならば、「こんな色の服で、こういうものを持っていて、こういうお顔で……」という答え方をしてしまいます。幻視者は感覚に与えられ、感覚で受け止めたことにとどまってしまいがちなのです。

 同じ質問を霊的指導の経験を積んだ司祭にしたならば、こう答えるでしょう。「天使は純粋な霊ですから、色、形はないのですよ。人に姿を見せるときは、人が感覚でしか知覚できないので、色、形をとって現れますが、そこに興味を持つのは間違っています。天使を使わして下さる神の愛、そして天使の愛と助けという本質的なことに目を向けなさい。天使の導きが何かを悟ることに知恵を、そして天使のすすめに従うことに力を注ぎなさい」と。

 日本人は感覚的な民族です。つまり理性が弱いという欠点を皆さんは持っています。天からのメッセージを読む場合でも、日本人は感覚でとらえたことを出発点ではなく終着点にしてしまいます。

「もうすぐ災害が起こる」と書いてあれば、「怖い!逃げよう」と考えます。神様が、人間に、祈り、罪を犯すのをやめ、自分と他人の罪ほろぼしをさせたいから、それらをしないと災害をくだすと知らせていること。それらを行なえば災害がくだされないこと、つまり改心によって災害の実現を人間に妨げさせたいから、神様はあらかじめ告げていらっしゃる。では祈りと償いをささげ、この災害を取りやめていただこう、と。「本質」に向かって理性の働きでせまろうと、日本人は一切しないのです。

 霊的指導司祭が幻視者や皆さんを指導するとき、第一にすべきことは、感覚的なことから離れさせ、本質的なことに向かわせることです。しかし幻視者も、皆さんもその指導を受けつけようとしないのです。悲しいことですが、日本人の感覚的な自己流解釈に対する自信過剰は強烈なものですし、感覚的な事柄に対する執着は、頑固なロバや牛以上で、そこから動こうとは断固しません。

http://homepage1.nifty.com/charbeljapan

追伸:
 ジャン・マリー神父は、文章はきついことを書いているけど、すごくやさしい神父だよ。とくに、間違っている人、罪人にたいして、信じられないくらいあわれみぶかい神父ですよ。こわがらないで、心をひらいて、悪さをもろだしにしてね。みんな受け入れてくれますよ。


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