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コルベ・マリー阿部哲朗の告白録(3)

【 世界は危険に満ちている!? 】

コルベ・マリーの

 ぼくの情緒における価値観は、「世界は危険に満ちている!」のひとことにつきる。「信仰」以前の「情緒の深い傷」の問題だ。

 ローマ・カトリックのメンタリティーは、本来は「超楽観主義」、まったく完全に善い方である神様に、「幼な子」のように完全に信頼しきっているから、「おおらかさ」「希望」「活力」にあふれている。

 人間的に見て、不幸な、悪い出来事も、まったく善い神様が、よい目的のために、それが起こることをゆるされていると考え、いつも明るい希望にみちている。

 しかし、いつも、「何か悪いことがおきるんじゃないか?」 「どうせ神様は、私のことなんかちっとも考えていてくれやしない!」 「それどころか、罪! 罪! と、こうるさく、いつも罰してやろうと、まちかまえている、先生みたいに偉そうにしているやつ!」etc…という、「悪魔的悲観主義」に支配されている日本人のうち、その中でも最低最悪のチャンピオンみたいなぼくは、土台の部分から違っていて、ローマ・カトリックの「信仰」うんぬんどころではないんだ。

 1987年ころのことだから、今から約22年前だね、リトル・ペブルさんに与えられたマリアママのメッセージを知ったのは。それから、クリスチャンになり、メッセージとか教会で言われている信心業に、ひと三倍励んださ! ロザリオ三環、断食、いろんな祈り、善行……!

 しかし、精神的にも、肉体的にも、完全にすりきれちまったよ。あげくのはてには、「おれがこんなにがんばってささげているのに、こいつらひとごとみたいにのんびりしやがって! うまくいかないのは、てめえらのせいだ!」って、おもてには出さないけれど、内心にがい思いでいっぱいになって、どうしようもなくなっちゃったよ。

 でも、根本的にまちがっているのは自分のほうだったんだね。土台が「悪魔的悲観主義」では、いくら一生懸命に信心業がんばっても、神様にぜんぜん信頼していないから、自分たちの人間的な価値観でやってしまおうとするから、おかしくなってしまうのは当たり前のことなんだ。

 「信仰」以前の問題。ぼくの場合は、「人間に対する絶対的な不信感」なんだ。思い出してみると、ものごころついたころから、すでに、人に対して異常なくらい不安と緊張感をいだいていた。大人であれ、子供であれ、人と接するのは非常な苦痛だった。いやでいやでしょうがなかった。

 人は、隣人を通して神様を愛するんだ。だから、「私は神様を愛しています。でも、隣人は好きではありません。一人でいるほうがいいです」ってことは、ありえないんだ。

 「情緒の傷」だから、頭ではわかっていても、無意識のうちに肉体と精神は逆の反応をしてしまうんだ。ぼくの「情緒の傷」が、どれほど深いか、これからおもしろい実例をいくつか披露してみるよ。


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