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ウィリアム・カムの若い頃のエピソード(2)

……別の観点から、1972年(注:22歳の時)は、私にとってとても忘れがたい年です。養父のハンス・シュエットラーが私の母を探しにドイツから戻ってきました。彼は私を誘拐することで母に復讐することを心に決めていました。それで当然母は非常に恐れていました。養父はアデレードのナイキケルタ・ベセキ一家の家に滞在していましたが、彼は私に会ってくれと連絡してきました。彼がどんな邪悪な計画を心に秘めているかを知らずに、私は彼と会うことに同意しました。私はベセスキ家へと旅行し、そして養父が何をたくらんでいるかを知らされたのはそこにおいてでした。彼が私をレンマークに連れて行き、墓地で私を殺すことができるように、ここで私をものにするという計画だったのです。彼らは言いました。彼は車の中に銃をおいている、と。そして、ただちに家に帰るように、と私をせき立てました。私は帰るのではなく、養父とともに行くことに決めました。私の出発の前に、私は告解に行き、司祭に、私は死にに行こうとしているので、これが私の最後の告解です、と告げました。私は司祭に、私は神に自分の命をささげています、もしそれが神の御旨なら、私はそれをうけいれます、と言いました!
 養父と私はレンマークへと出発しました。そして旅行の間、彼は金持ちになったことを自慢しました。彼は私に、仕事と家とドイツまでの飛行機のチケットをあげようと言いました。私は彼に、私の愛を買おうと努める必要などありません、なぜなら私は、すでにあなたをとても愛しているし、いつも愛してきたから、と言いました。私たちはレンマークに到着し、そこで私は私の古い友人たちと会いました。彼らもまた同様に、母に仕返しするために養父が私を殺すと脅していたと私に警告しました。彼らは私が生命を奪われることを恐れており、警察の力を借りることを望みました。私は彼らにすべてを私に任せるように、そうすれば自分でなんとかする、と言いました。私は自分のロザリオを首にかけ、自分自身を神の御旨に任せました。それからほどなくして養父は、彼の古い友人のお墓参りをしたいから、一緒に墓地に来てくれないかと私に頼みました。私は行くことに同意しました。そして墓地に向かう途中で、養父に、彼の意図を私は知っている、と告げました。私は彼に言いました。神がそれをお許しにならない限り、私に害を加えることはできません、と。私が彼を大変愛していて、神もまたあなたを愛しておられます、と。そうして私は彼を赦します、と告げました。養父は泣き崩れました。彼は、自分が私を殺すつもりだったこと、しかも何度もそうしようとしたことを認めました。彼は私たちの車をセミトレーラーに突っ込ませようと試みました。次に、私を射殺しようと決心したのですが、自分がそれをやり遂げることはできないことがわかりました。彼は私に赦しを乞い、ドイツに戻ってもう二度と再び私を煩わすことはない、と言いました。私はその場ですぐに彼を赦しました。そしてその後、再び彼に会うことはありませんでした。何年かたって私は彼に連絡をとろうとしましたが、彼の両親に連絡したとき、彼が亡くなっていたことを知りました。……(第2章pp55-56)……

http://homepage1.nifty.com/charbeljapan/hakobune_index.htm#lp_vol1


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